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少女漫画の世界

2003年11月30日
可愛い松島トモ子ちゃんが微笑んだ表紙の、昭和32年光文社発行の雑誌「少女」5月号が2冊有ります。
同じ本に見えるのこの2冊、しかし、中身は全然違います。本の厚さも、少し違います。
当時発行されていた少女雑誌の漫画や読み物、グラビアを寄せ集めて、1册の雑誌の形にしているのです。一応1番最後の読み物や漫画には、ちゃんと奥付の印刷されているものが配置されています。
1冊の方の奥付は、わたなべまさ子の短編”ばら色の夢”の最後のコマに印刷されていて、「少女」昭和32年6月号となっています。
しかし、もう1冊の方の奥付は、堤千代の連載読物”カナリヤの歌う日”の最後のページの左隅に印刷されていて、集英社発行「少女ブック」昭和27年12月号となっています。
背表紙だけはこの本のために別に作ったみたいで、赤と青の安っぽい2色刷りで「少女」と印刷され、その下に青い字で申し訳のように小さく「改造」の文字が。

ところでこの「少女」改造版の存在で気づかされるのは、昭和30年代半ば頃に一番人気のあった少女漫画雑誌が、「少女」であったと言う事である。
この当時同じ小学校高学年の少女を対象にした雑誌に、「少女ブック」と「少女クラブ」があったが、改造版が「少女」であると言うところに、その事が正直に表されていると思う。

「少女ブック」は集英社発行で、その後「マーガレット」に、「少女クラブ」は講談社発行で、その後「少女フレンド」に移行する。
しかし人気雑誌「少女」を発行していた光文社は、「少女」を廃刊後、週刊誌化に移行せず、漫画から手を引いているのは、非常に興味深い。
2003年11月17日
わたなべまさこは昭和28年デビューということだから、今年で50年。半世紀を漫画の世界で生きたことになる。
昭和30年代初めは若木書房の貸本まんが”泉””こだま”などで活躍。その後月刊少女雑誌に活躍の場を移している。
当時の少女誌は、昭和20年代の吉屋信子の少女小説の伝統を受け継いだ、可愛そうな少女の話が全盛だった。わたなべまさこもそうした話を繰り返し描く。ただ違ったのは、その世界が非常にゴージャスな西洋趣味に彩られていたこと。

特に昭和30年代、ちゃぶ台に割烹着のお母さんが普通だった時代に、じゅうたんが敷き詰められピアノの置かれた洋室で、レースのフリルいっぱいの洋服を着た少女たちの繰り広げる物語は、読者の少女たちの憧れをかき立てた。
月刊誌時代の代表作に、「やまびこ少女」「みどりの真珠」「白馬の少女」「王女ミナ子」「ミミとナナ」等がある。生き別れになった双子の姉妹(もしくは母子)が、苦難の末にめぐり逢い、幸せになるというストーリーが、様々に設定を変えて、繰り返し描かれる。

わたなべなさこの少し崩れたその独特な絵柄は、当時同時代に人気を分けて活躍した牧美也子の端正な絵柄に比べると、好みがはっきり分かれた。
しかしそれでも、ドラマチックなストーリー展開のうまさに、ついつい夢中にさせられた読者は多かったと思う。そしてその時代の変化に敏感なエンターテナーぶりは、活躍の場が月刊誌から週刊誌になり、いわゆるレディースコミックに移っても、変わる事はない。

週刊誌時代に移っての代表作は、「ガラスの城」につきるだろう。悪魔のような性格の姉が天使のような性格の妹の幸せをあらゆる手段で邪魔をするというヨーロッパを舞台にした長編漫画である。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる、という姉の生き方が、単に悪者という描き方ではなく、それなりに共感を持って描かれているところに、昭和40年代半ば頃の時代の空気を敏感に反映している。

わたなべまさこは決して漫画界のパイオニアではない。むしろ常に時代の変化に寄り添いながら、西洋趣味の衣を着て、日本的情念の世界を描き続けてきたからこそ、半世紀を生きてこられたのかもしれない。
2003年11月01日
昭和30年代の漫画雑誌を見ていて驚くことの一つに、漫画家の住所が堂々と公開されていること。
ページの柱(ページ両端の縦のスペース)に、「○○先生におたよりしましょう。おところは・・・・・」なんて書いてあります。
現在は、編集部気付けが当たり前ですけどね。

「少女クラブ」昭和35年1月号は、水野英子の「星のたてごと」、細川知栄子の「母の名よべば」の第1回、継続連載にちばてつやの「ユカをよぶ海」、赤塚不二夫の「おハナちゃん」、上田としこの「フイチンさん」という超豪華メンバー.なのですが、よく見てみるとみんな住所が掲載されています。
赤塚不二夫は、石森章太郎などと一緒に住んで有名になった「トキワ荘」の住所が載っています。水野英子も上京直後は「トキワ荘」に住んでいたはずですが、このときの住所は雑司ヶ谷なので、引っ越した後だったのでしょう。
細川知栄子は当時は神戸に住んでいて、ちばてつやは江東区深川に住んでたんだ・・・なんてマニアックなことにちょっと感激。

この頃はファンが押し掛けて迷惑する、なんてこともなかったんでしょうね。この住所を見て尋ねられるファンは、たまたま近所に住んでいる人ぐらいでしょう。
新幹線もまだ開通してなくて、日本人にとって日本はまだまだ広く、まして子供にとっては尚更のことだったはず。

今では東京晴海で開かれる”コミックマーケット”に、全国から10代の少年少女が訪れる時代です。
そして有名人だけでなく、普通の個人の住所もプライバシーとして防衛するのが当然という時代になりました。
2003年10月16日
ちばてつやは「あしたのジョー」で有名になりましたが、最初に活躍したのは、講談社発行の「少女クラブ」で連載した「ママのバイオリン」「ユカをよぶ海」といった少女漫画でした。
昭和30年代の少女漫画は、親と生き別れて孤児になった少女が、様々な苦難を乗り越えて、幸せになる、というのが重要なモチーフでした。
ちばてつやもそういったモチーフきちんと踏みながら、主人公の少女はただ耐えるのではなく、芯の強い明るさで運命に立ち向かっていくという印象がありました。
そして、ちばてつやの少女漫画の最高傑作は、やはり「1・2・3・と4・5・ロク」。5人の兄弟姉妹と犬1匹がお母さんの死や、その他様々な事件に巻き込まれたりしながら、それを乗り越えて明るく生きていくホームドラマ。といってしまえば簡単ですが、これがなかなか登場人物が、脇役に至るまで、魅力的なのです。
たとえば、ヒロインの少女を取り巻く少年達との、活き活きとしたやり取り。決して優等生でない少年達のひとりひとりを、むしろ作者は共感を持って描いています。
そして、そうした少年達とのエピソードが、作品にリアリティを生み出し、それがちばワールドの魅力でした。

しかし、昭和40年代になると次々に登場した女性漫画家が、少女漫画誌の主要なモチーフを、可哀想な少女の話から、愛とロマンへと変えていきます。
水野英子、里中満智子、美内すずえ、西谷祥子、池田理代子・・・
彼女達はいとも簡単に人種も時代も超えて、少女達を憧れの世界へと誘う。

そしてそんな少女漫画の世界から見ると、ちばてつやの少女漫画は、どうしても野暮ったく見えてしまうのです。
ちばてつやが描く少年達はリアリティはあっても憧れの対象にはならない。ちば漫画の魅力である優しさや誠実さ、庶民性は少年漫画の世界でこそ花開いてゆくのです。

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